かねてから日本語の乱れを指摘する声は数多い。
「1万円からお預かりします」や「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」といった、尊敬語だか謙譲語だか丁寧語だか分からない敬語や、「見れる」、「食べれる」等の、いわゆる「ら抜き言葉」などもよく耳にする。
かく言う私も、無意識のうちに「ら抜き言葉」を使っている事が多々あり、先日もついオーストラリアのラを抜いて「オーストリア」と言ってしまった。
さて、オーストラリアと言えば、知人の女性がオーストラリアでワーキングホリデーを行っているのだが、先日一時帰国された時にお土産をいただいた。

原色が目に痛い清涼飲料水が2本。(画像1・2)
私へのお土産がどぎつい色のジュースとは・・・。さすがわかってらっしゃる。(←大橋巨泉が27歳の時のネタ。←だから一般人には分からないネタはやめろと何度言えば)
ちなみに2本とも冷蔵庫で保管しておいたのだが、赤い方はなにやら黒い微粒子状の沈殿物が発生した。軽く振ったら拡散して消えたが、本当に飲んでも大丈夫なのか、オーストラリア人。まさかこれがウワサの宇宙の質量の2割を占める謎の暗黒物質「超対象性粒子」じゃないだろうな。
ま、飲むんだけどね。もちろん混合して。(画像3)
ひそかに緑色になる事を期待していたのだが、残念ながら予定調和で紫色になった。できればもう少し派手な変化を見せて欲しかったが、それは贅沢という物だろう。
味はまあ普通に清涼飲料水という感じなので、今回は結論は無い。
余談になるが、「書く」とゆう言葉は「書ける(可能)」と「書かれる(受身)」とゆう風に使い分けがなされている。
ではなぜ「見る」は「見れる」と「見られる」で使い分けされず、「見られる」が可能と受身の両方の意味を持っているのだろうか。
なんでも明治時代に可能と受身の使い分けが進んでいたのだが、その途上で標準語を制定する動きが出て、「書く」は使い分けられたが、「見る」は使い分けられない状態で標準語として決められたからだそうだ。
つまり標準語の制定がもう少し遅ければ、「見れる」も「食べれる」も正しい日本語として定着していたらしい。
それを考えれば、あまり日本語の乱れについてとやかく言うのもどうかと思う。
まあ、なんでも「ヤバい」の一言で片付けてしまうのも問題だが。
ところで、めずらしく今回の日記は次回に続くので、期待せずに待っていて欲しい。
次回もノーフューチャー!
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